北斎と法性寺 HOKUSAI AND HOSSHOUJI

北斎ゆかりの開運の寺

葛飾北斎「柳嶋妙見堂」江戸時代に浮世絵師として活躍した葛飾北斎は、葛飾の本所の生まれであったため「葛飾」と名乗り、「北斎辰政(ときまさ)」と改名したのは「開運北辰妙見大菩薩」を信仰していたからと言われています。

妙見堂(外観)師匠に破門にされ、生活に窮した北斎は、一時、絵筆を折ろうとまでします。
しかし、「柳嶋の妙見さま」へ21日間お参りし、満願の日の帰り道に落雷に遭って失神。
その後、めきめきと売れ出して有名になり、数々の名画を残しました。
世界的に有名な画家として知られるようになったのも、「柳嶋の妙見さま」のご加護があったからなのです。

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法性寺名画ギャラリー

名画ギャラリー法性寺の2階客殿には、江戸時代の錦絵などを集めた名画ギャラリーがございます。
妙見堂を題材とした作品や、岸田劉生、棟方志功、渡辺清巴などの名画も数多く展示しております。どうぞお気軽にお越しください。
【ギャラリー開館時間:10時~15時、ご供養料はご随意】
※ギャラリーは都合により閉館する場合がございます。何卒ご了承ください。

以下では、その名画の一部をご覧いただけます。

近松門左衛門とのゆかり

近松門左衛門供養碑近松門左衛門は浄瑠璃作家の大御所で、「曽根崎心中」「国政爺合戦」などの不朽の名作を残しました。

近松門左衛門の菩提寺は尼崎市の広済寺(日蓮宗)ですが、このお寺にも妙見さまが祀られています。この「妙見さま」への信仰心が縁で、近松門左衛門のひ孫により、門左衛門没後100年を経た文政11年(1828年)、江戸の柳嶋妙見山法性寺に近松門左衛門供養碑が建立されました。

これは、昭和30年代に境内から供養碑の一部が発見された(断片は墨田区登録文化財)ことにより、後の研究で明らかとなったことですが、平成18年(2006年)に、供養碑が再建されています。

 

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